雑誌編集部の初めての朝礼。
小さな会議室に、編集部員5人と印刷所の担当が集まっていた。
「紹介します、新人の静森さん。今日からうちの編集アシスタントです」
編集長がそう言うと、全員が軽く会釈をした。
でも、誰も言葉を交わさない。そういう空気だった。
唯一、声を出したのは、隣に座っていた男性だった。
「山道一森(さんどう かずもり)です。編集の全体を見てます。よろしくね」
穏やかな口調だったが、語尾に含まれる“空気を読む”気配に、静森はほっとした。
その日の午後。
初めての仕事は、地方特集号の資料整理だった。
「各地の読者からの手紙と、過去に掲載したインタビュー記事をまとめてみて」
山道から手渡されたのは、厚みのある封筒と過去の誌面コピー。
「何を探せばいいんですか?」
「共通してる言葉や、重なる気持ち。
読者たちが“ひとつの何か”を形づくろうとしてるとき、だいたい似た声が出るんだ」
静森は少しだけ驚いた。
文章の編集というより、“声の編集”みたいだったから。
山道は、そのあとも必要以上に干渉してこなかった。
だが、質問すれば丁寧に返してくれるし、なにより“急がせない”人だった。
「焦って読むと、声が聞こえなくなるからね」
そう言って、自分のデスクに戻っていった。
“声が聞こえなくなる”──
その表現に、静森はどこかで聞いたような懐かしさを感じた。
夕方、全体が落ち着いたタイミングで山道が声をかけてきた。
「静森さん、名前の由来って聞いたことある?」
「……“静かな森”って、両親が言ってました」
「うん、いい名前だね。編集って、そういう人が向いてると思うよ」
「そういう人……?」
「聞く人、間を残す人。
書くって、“言うこと”じゃなくて、“黙ること”なんだよ、ほんとは」
静森はその言葉に、深く頷いた。
「実はね」
山道は小さな手帳を取り出した。
「大学時代、コミュニティ論っていうゼミにいてさ。
人と人のつながりって、情報じゃなくて“信頼”でできてるって学んだんだ。
それが今、地域特集とか読者ページで生きてると思ってる」
「……信頼ですか」
「そう。文章も、取材も、編集部も。全部“関係”なんだよ」
彼の話は地味だった。でも、不思議と心がすっと静まる話し方だった。
その夜。静森は自分のノートにこう書いた。
名前を呼ばれた日。
書くことは、語ることではなく、
誰かの声を抱きしめることかもしれない。

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